


初の新聞記事
初めて新聞に取り上げられた時、夕刊ですが紙面の半分を占める大きな扱いで、とても驚きました。この時、手にしているのが、初代の新生児撮影システムです。カメラにセットされた2台のストロボは異なる角度の壁にバウンスしていました。すでに取材の時期には二代目のシステムに移行しているのですが、一緒に写っている赤ちゃん達を実際に撮ったシステムをと倉庫から引っ張り出しました。
この頃赤ちゃんは月平均60人赤ちゃんを撮り始めて約2年で1000人を超え、この記事になっています。

完全なる奇跡の1枚
Topにも使ってるこの画像、これが二代目です。良く光を柔らかくするという意味でディフューズという言葉が使われるのですが、本来は拡散させるというのが合っていて、光が拡散した結果柔らかくなった。というのがのストロボにおけるディフューズ効果の真相だろうと思います。この画像はその答えがはっきり目に見える形になったもので、本来何万分の1という極高速で発光しているストロボ光を何のスイッチングデバイスを使わず撮影すことはほぼ不可能ですが、本当に奇跡がここに写り込みました。

システム最重量
システム中最も重く最も長い期間使っていた 物です。第一回の東京個展時もこのシステムが現役でした。神戸と東京を毎回これを持って飛行機で往復しました。大体ストロボにシステムディフーザーを付けると正面での光量が1/5に減少します。と言う訳でL字型に配置されたディフーザーには単純に5台のストロボがセットされています。それらを支えさらに保護するためにアルミのフレームは溶接し強固にボルトオンしたサブフレームも採用したため総重量は12Kg、ただ当時は30台でまだ若く腕力も体力も有り余っていたため苦も無くアイデアてんこ盛り、性能も文句なしだったため本当に長い間メインシステムとして活躍しました。生まれて初めてギックリ腰を患うまでは。


システム最軽量
ギックリ腰を患い、突然に襲われる痛みに驚き、もしも最重量を赤ちゃんの上に落としたら大変と慌ててシステムを再設計、とにかく赤ちゃんだけ撮れればいいと徹底的に軽量化ストロボも一番軽いもの、カメラの内臓ストロボも活用、この時初めて補助光に折り畳みレフを採用しそこに、ディフューズしていないストロボ光を導くなど工夫を凝らしてギリギリ赤ちゃんを包み込める光を作り出しました。そうこうしていると赤ちゃん展をしている会場に年頃の女性がやってきて様々な事を根掘り葉掘り聞く、なんだろうなーこの熱心さと思い出したころ、名刺を出された「NHK主任…」こうしてNHKドキュメンタリーに、しかもゴールデンウィーク3日のゴールデンタイム午後7時、そこにもちゃんと写っています。

大判フィルムも仕様も
も作ってみよう!と試みたのですが、色々検証してみると、撮影コストが半端なく現実的ではないことが判明、新生児撮影での使用は断念します。しかし家族写真等で大活躍。ストロボ部分の効果と具合がとても良くて、この部分の効果は、ブラッシュアップして後、新生児撮影の35mmシステムにも大型化して乗せるのですがそんな折、神戸新聞さんから「これぞ神戸流」という名の連載中の特集記事コーナー掲載の依頼があり、その頃にはしっかり形になっていた同システムがこんな形で記事へとなりました。

最重量機進化更新
長い間、メインを張ってきた最重量機ですが、設計技術や製作技術が進歩したおかげで、頭の中が整理されて、一足飛びにアイデアの完成形が一気に見えるようになります。
ディフューザーも透過部分とディフューズポイントを作ってバランスを取ったりと、これまでの知見を余すことなく突っ込みながら、軽量化もとはいっても8Kgはあります。それでも4キロの軽量化です。このシステムは、スマステーションでの草彅さんとの対談時にも映っていますし、その後のNHKおはよう日本での気仙沼応援企画「生まれたての赤ちゃん1000人」展では、一緒に東北にも行きました。


フィルムシステム最終進化形
そして、フィルムシステムは最終進化形になります。主光と補助光、最後の最後は補助光でした。メインは当然できるだけフラットな光質で、当然補助光もそれに対応しできる限りフラットな光質を狙っていました。光と影の芸術、光に立体感があるなら光の副産物である影にもきっと立体感がある。言葉にすることは簡単ですが、どうすれば?、考え抜いた末の答えがストロボの光そのものにグラデーションを付ける、おのずとその副産
物の影にもグラデーションが付く
はず。でした、答えが出ても次に
その方法が、とにかく予想と仮説
、実験と検証の繰り返しやっと出
来たのが右の画像のグラデーショ
ンの付いた補助光システムです。
そして、「このカメラは何を撮影
するシステムでしょう。」という形人気番組「隣の人間国宝さん」で紹介されました。が補助光グラデーションの部分までは及びませんでした。


そしてデジタルシステムへ
残念ながら積極的に移行した訳ではなく、23年育て上げたアナログプリンターが修理不能になりつまりアナログシステムが使用不能になったためデジタルへの移行をすすめました。フィルムとデジタルデバイスの違いは大きく、30年かけて作り上げたシステムが同じように使うことができません。事実フィルムを使っている時には、その高次元の再現性を余裕として作品性に転嫁できていたのですがデジタルシステムにはこういった余裕がなく、ぎりぎりの再現性を神経質に追いつめる方向へとむけることになります。具体的には、撮影時の空間全てを俯瞰しながら細かい所はフィルムの大らかな再現力に任せ、アナログプリント時に深く追い込みをかけるという、事が出来ました。
そこがデジタルでは、今!が重要ですべてを撮影時に完了しなければなりません。もちろんそのためのカメラモニター等があるのですが、今まで時間的余裕がなくなりました。ただ、システムは使えなくても、知識と技術はおおいに使用可能です。つまりは脳みそを撮影時に細かく神経質に使う方向性にしました。その代わり結果が即確認できるので頭の使い方を変えただけかもしれません。それが外観に出ています。

